浜名湖遊覧船の歴史(年表)
1907年 明治40年 |
浜名湖巡航船(株)設立(8月13日)
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1946年 昭和21年 |
浜名湖巡航船(株)が浜名湖観光汽船(株)に商号変更
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1968年 昭和43年 |
浜名湖レイクサイドウェイ開通(4月)
ハマナ・コスタ開業(7月13日)
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1970年 昭和45年 |
浜名湖遊覧船(株)設立(2月2日)
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1977年 昭和52年 |
浜名湖観光汽船(株)解散、浜名湖遊覧船(株)のみとなる(3月31日)
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1986年 昭和61年 |
浜名湖遊覧船「浜名丸」就航(8月10日)
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1988年 昭和63年 |
浜名湖遊覧船「奥浜名丸」就航(4月10日)
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2003年 平成15年 |
浜名湖遊覧船「フラワーパーク港」にトイレ建設(8月)
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2005年 平成17年 |
ハマナ・コスタ営業終了、海商が営業継続(3月31日)
浜名湖遊覧船が寸座港への運行再開(6月1日)
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2009年 平成21年 |
浜名湖遊覧船(株)がサゴーエンタプライズ(株)の子会社に(9月30日)
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◆寸座港の休港について
いままでご利用いただいてきた寸座港ですが、4月1日(木)より休港とさせていただくことになりました。お客様ならびに周辺施設の皆様にはご迷惑とご不便をおかけしますが、何卒ご理解のほどよろしくお願いします。
浜松寅とら虎物語 舘山寺”寅さんフィーバー”
(引用先: 中日新聞 2010/01/08)
「さぁ 白く咲いたが百合の花 四角四面は豆腐屋の娘 色は白いが水くさいと来たもんだ」
浜松市舘山寺町(現西区)の浜名湖遊覧船乗り場。張り子の虎をずらりと並べて啖呵売を決めるのは、故・渥美清さん演じるご存知「寅さん」。晴れ着姿の娘たちの笑顔に、舌はますます滑らかに。寅年を間近に控える1985年年末に公開された「男はつらいよ 柴又より愛を込めて」のエンデイングを飾るシーンだ。
自分の恋路よりもいとしい上司絵の人生を思いやり、失意の果てに旅に出るという”お家芸”も36回目。同年10月、温泉地として名高い舘山寺が失恋寅さんを迎い入れることになった。映画公開の2ヵ月前だった。
「寅が来るぞ。50人用意してくれ」
当時、1300人の会員を擁した「寅さんファンクラブ浜松支部」に山田洋次監督から白羽の矢が立った。エキストラ集めに奔走したのは国鉄浜松工場(当時)の木村和雄さん(60)。「整備士やら総務の女の子やら、仕事中に急いで声をかけて回った」という。晴れ着娘は、運行記録を管理していたキーパンチャーの女性たちが務めた。
「はーい本番」「ほら通行人の人、振り返るの遅いよ!」山田監督はエキストラ全員をカメラの前に立たせ、熱心に演技を指導。「みんな何が何だかという感じでしたよ。」と木村さんは笑う。
地元のタウン誌「月刊浜松百撰」の安池澄江さん(83)がロケを取材していた。「寅さんも監督もすぐに周りにとけ込んでたね」と懐かしそうだ。「浜松はいつでも人が集まる。太鼓たたいて、いざ出陣って気質ね。ただし、音頭を取ってくれる人が必要なのね」
2010年は誰がどんな第一声を上げるのか。年女の安池さんは当時にあやかって、今年も活気ある一年にと願う。(皆川剛)
第36作 「男はつらいよ 柴又より愛をこめて」 松竹株式会社
浜名湖上の定期航路の歴史
(引用先:浜松市/全市版 広報はままつ)
江戸時代、浜名湖では漁船と新居の渡し船以外の船の航行は禁じられていました。明治に入りそれが解かれてから、浜名湖が水上の道として利用されるようになったのです。
浜名湖上に蒸気船が登場したのは明治9(1876)年、航路は浜松宿堀留(現・中区菅原町)から新所村日ノ岡(現・湖西市)まででした。そして定期航路が始まったのは、明治の終わりごろです。鉄道の駅から遠く交通不便な人たちの大切な足となりました。当時は参入した数社の間でスピード・運賃の競争が激化したほどでしたが、限られた客数を巡っての競争に疲弊し、廃止される航路もありました。
しかし、定期航路の廃止に不便を感じた村櫛の住民たちが、村営に近い形で汽船を運営することで一部航路を確保したこともありました。昭和4(1929)年から始まった、この定期船運営は、途中で経営を遠州鉄道に移し、昭和48(1973)年まで続きました。また、鷲津、瀬戸、舘山寺などを結んでいた浜名湖観光汽船も、昭和52(1977)年に廃止されました。
自家用車の進出と道路整備によって乗客数が減少したため巡航船という浜名湖の足は消え、現在は観光船として舘山寺から瀬戸間の浜名湖遊覧船が航行しています。
※このとき蒸気船が航行したのは入野から新所村日ノ岡までの区間で、入野から堀留までは和船に荷を積み替えて輸送しました。












